2011年7月26日火曜日

かもがわカフェ。

今日は京都にて肉体労働。
親戚の家からお店で使うものを運びました。
yeah、肉体労働、yeah。
それにしても私がやる気を出すと雨が降る。
京都が晴れていてくれたことが救い。


一服しようと入ったかもがわカフェ。





ここからは鴨川は見えないけれどかもがわカフェ。





本棚のあるカフェ。










マンゴーラッシー





レモン風味のベイクドチーズケーキ





フレンチトースト





私の大好きな写真集があった。
藤代冥砂さんが愛する奥様を撮った『もう、家に帰ろう』
あたたかくて優しくて凪いでゆく。
感じる生命力。ふたりの間に流れる時間。相手を想う。
ふたりの関係。夫婦という一言でもそこにはそれぞれの関係があるでしょう。

もう何度もこの写真集は見たけれど、もしひとりで見ていたらなんだか今日は涙を流してしまいそうだった。
あたしもこんな、写真集を作るのだ。


2階にあるカフェの下には雑貨屋さんと




古本屋さん





雑貨をいくつかと古本もいくつか購入。
村上春樹、川上弘美、サガン、ビリージョエルの歌詞集、ピーターラビットの絵本などなど・・・







並んだチャリんこかわいいね。
5年のブランクで乗れるかわからないけれど乗りたいな。
あなたが片手で押して、ちょっとフラフラしながら手をつないでくれるだけでもいい。

2011年7月17日日曜日

そろそろ。

お店がやっと形になってまいりました。
近所の方たちが通りすがりに何度も覗いてくれます。
「ここなにしてくれますのん?」
カフェだというと、喜んでくれる。
蓋開けてみたらみんななんて言うだろう。
不安もいっぱいですがきっと素敵な空間になると思っています。


広告・HPは大学で出会った友人に依頼し、デザインしてもらっています。
私の無茶ぶりをそれを上回る姿で見せてくれる。
こちらの完成も楽しみです。


久しぶりにいくつか作ってみたものをあげてみようと思います。






梅しらすおかゆ。





照り焼きチキンピザ。





紅茶パン。





パインアップルジュース。


メニューを考えるのは大変だけれど楽しいです。
料理はするのもしてもらうのもうれしいです。
料理が好きな人は食べるのも好き。
食事の時間を楽しめることはとても大事なことだと思うのです。
食べられればなんとかなる。







お店を覗きに来たわんこ。
「うち、まだなんやわ」って言ったら「また来させてもらうわ」ってさ。






もうちょい待っててな♪

2011年7月8日金曜日

胸騒ぎの空。




梅雨が明けたそうですね。
たしかに昨日のお天気から今日のお天気の変わり様はTHE梅雨明けって感じでした。
太陽アレルギーの私は本格的に太陽光線から逃げ惑う日々が始まります。



知らない電話番号からかかってきた電話。
3年前くらいだったかな。
くだらない話をしていつも照れたように笑う下の名前しか知らない男の子からだった。
年下だったはずだけれど正確な彼の年齢は知らない。言われた気もするけど忘れた。
車高どこまで下げるねんってくらい下げてお尻痛いわけわからん車に乗ってた。免許持ってたんやろか。
東京にいるんやろーって言うたら京都やでー言われた。
でももう帰ってきたって。
生きとったんやなってお互い笑った



夕方。カーテンを締めようと二階にあがったら窓に映る空に息を飲む。
思わずカメラを手に外へ飛び出した。
隣の家の人に「この空撮りたくなるのわかるわぁ」と言われた。







なんだろうこのざわざわ胸騒ぎ。
追いかけて追いかけてもう何年も何年も入っていなかった公園のジャングルジムにまでのぼってしまった。
ジャングルジムは思っていたよりも低くて、木もお家も越えるために登ったのに全然足りなかった。
この公園であたしは何して遊んでたんだっけ。
4歳くらいの頃砂場で母と遊んでいたら向こうの方から雨が追いかけて来てダッシュで帰ったけれどずぶ濡れでそのままお風呂場に駆け込んだことしか思い出せなかった。

2011年7月3日日曜日

愚痴受け付けます。







数年前、親友と占いに行った。
何を根拠に見てもらったのかはもう忘れたが、そのときの占い師に「あなたは芸能リポーターになるといい」と言われた。
考えたこともない職業だったので驚き、理由を聞いたら「あなたにはなんでも話しちゃうから。話せないことも話しちゃうから。あなたは根掘り葉掘り聞くつもりなんてなくても、話されちゃうのよ。」と言われた。だからスクープを聞きだすことができるということだ。
そのときは「へぇ」と思っていたけれど、なるほどたしかに私は聞いてもいないことをカミングアウトされることが多い。
特別親しくなくても(もう二度と会わないと思っているからこそ話せる話というものもあるが)、そんな秘密、私なんかに話してくれてありがとうとむしろ感謝したくなるような話を聞かせてくれたりする。



「愚痴受け付けます。」という看板でも首から提げようかと思うほど、私はさまざまな人から毎日と言っていいほど愚痴られている。
直接、電話、メール、ツールはいろいろだが、愚痴を聞かない日はない。
そんな日々がまた戻ってきた。
それを受け付けられるほどの余裕を持たない日々を私は脱したのだと思う。


負の感情はどこにいくのだろう。
どこかで食い止めないとどこまでもどこまでも伝達されていってしまう気がする。
私は愚痴り下手だ。
弱音を吐くこと、人に相談することがヘタクソだ。
すべて笑い話にして話せるようになるまでその話はしない。
渦中にいるときはひとりになってしまう。
音信不通になって心配をかけてしまったことは何度あったことだろうか。
もうそれを理解してくれてそっとしておいてくれる友人たちには感謝している。
最近やっと「お願い事」はできるようになったが。
だからもう、私は負の感情の最後の受け口にいっそなりたいと思うのだ。


的確なアドバイスなどできない。
私はどれだけあがいても私ひとりの人生しか生きることができない。
人の人生を生きられないということに嫉妬すら感じる。
だからせめて、その人のその人生のそこに立って考えてみる、ということをしたいと思う。
そういうことが好きなのだ。別に私は優しくなんかないし、どちらかというと冷酷だ。


私がふんふんと聞いているだけで、みるみる相手が元気になってくる。
それを見るのが好きなのだ。こんな私でも役に立ったのかと思えるから。
別に私じゃなくてもよかったのかもしれない。そうだとしてもかまわない。
そんなことたいしたことじゃない。


あっ、いいのよ、喜びの報告をしてくれても。
だけど、たしかに私は弱っている人の話を聞くことの方が性に合っているかもしれない。