2012年2月3日金曜日

2センチメートルの憂鬱を切り落とす。





何もかもがうまくいかない朝がある。
基本的に朝は憂欝だがもうそれの極致とでもいうような朝。
基本的に朝は憂欝だがそれでもなんだか胸がとくとくと波打つような、フレンチトーストでも焼いてしまおうかというような愛すべき朝もあるのだけれども。
昨日の朝は前者だった。


何もかもがうまくいかないということは、もともとおっちょこちょいだというのにさらに手元が覚束なくなり忘れっぽくなる。
一寸前の記憶すらきつねにつままれたように失う。
感情もコントロールできない。
この間も、手相を見る方に驚かれたばかりだが異常に長い感情線を持ち合わせているせいか否かもともと影響を受けやすいのだが、この出来事をこの映像をこの言葉を受けてのこの感情とわかっているときはいいのだ。
なんだかわからないけれど涙が出てくる、呼吸が荒れる、そういうときがこれで厄介なのだ。
あぁ今日は憂欝の極致にある調子のよくない朝なのだと受け入れるしかない。

そういうものは自分で受け入れてどうにかするしかなくて、誰かにどうこうしてもらうものじゃない。
「どうしたの」と聞かれて懸命につたなくて不器用な言葉をかき集めてこのここにあるこれを口にしようと思うのだけれど、大概その努力は実らない。
抱き締めて体温を共有することはとても心地よいけれど情けなく、その胸板をぽかぽか殴ったり爪を立てたりする。
あなたはここに責任を持ってしまうのかい。
飼い慣らすとはそういうことで、あたしはそれを覚えてしまうよ。
そんなの困る、そんなのごめんだというなら行って。振り返ることなく行って。

そういえば美容院を予約していたので、ごめんなさい、少し遅刻してしまったわ、出掛ける。
先行き未定の髪の毛をとりあえず毛先から2センチメートルのところに鋏を入れてもらう。
胸の下まであったものをバッサリといく数年に1回のあの儀式に較べれば爽快感は低めだがそれでもなんだか気持ちいい。
もし私がとかげなら何度もしっぽを切ってしまいそうだ。

同じ所ばかりで分けているとハゲるのではないかと不安でかなり久しぶりに分け目を変えた。
数か月放ったらかしだった色はワントーンあげた。
丸くなったシルエットにいくらか和む。


憂欝とともに切り落とされた2センチメートルの髪の毛。


まぁそれくらいじゃ昨日は快復されなくて、馴染んだ道で迷子になったり、毎週買っている生クリームを買い忘れたり、生卵を落としたり、あらゆる箇所を火傷したり、した。

ただ私はもうわかってる。
そういう日もあると割り切ることを。
「割り切れないもの割り切って生きてるんだ」って9個のたこ焼きを私にひとつ多めにくれたいつかのおっちゃん。


コミュニケーションに言葉というツールを使わないこいつは私の目からこぼれた塩辛い水を舐めた。