2012年5月6日日曜日

ぐるぐる廻るセカイの中で君と出会った。




変わってゆく変わってゆく。


今まで私は乱暴な、狂気じみた速度の中で生きてきた。
当人当時にはそのように感じていなくても。
ただ振り落とされないようにまた自ら堕ちてゆかぬように必死で掴んでいたときも。
それは何も遠い昔のことでもなく、あの頃はこどもだったね、などと笑えるほどのことでもなく。
自分の人生なのだから好きなように生きたらいいのよ、って言われて育ってきたはずなのに。


そして今、恐ろしいスピードで変化してゆく私や私の周りのそれやこれや。
その変化よりも、それに焦ったり慄くことなく、あまりに、すとん、と、受け入れられている自身に驚く。
顔つきまで変わってきた気がする。
変化は痛みや不安や恐怖を伴うものだけれど、それも含めて概ね楽しめている自分自身がまた変化したのだと思う。
なるべくして、というのはこういうことなのかもしれない。


誰だって、一度に持てる、抱えられる荷物の大きさは限られている。
何度も何度も捨てて捨てて捨てられてきた私だけれど、特に狂気じみた速度の中で生きているのだから、その大きさは非常に少量であることにようやく気付く。
たいていのことがどうでもいいことに思えてしまうのはそういうことなのかと。
限られたどうでもよくないことに私は命投げ打つのだから。
命を大切にと学校では教えられたけれど、命を燃やして生きろと祖父に教わった。
医師だった祖父は自らの脈をとりながら逝った。


この変化の中で私は今、とてもシンプルだ。
失いたくない場所がある。時間がある。
そういうものはいつだって容赦のないスピードで失い失われてきた。
失いたくないものを持つということはその恐怖を抱えるということだ。
ただ、そういうものがあることは私の生命力になる。
原作も映画も好きだけど、うん、『ヒミズ』でも言ってた。
守り守られ生きてゆくのだ。
それはつまり、この世にはそこから守りたい守らなければいけない何かがあるということ。


これからも社会と契約して生きてゆくのだろうから悶えることもあるさ、きっとある。
そんなとき、私はモノクロのセカイで舌を出してやる。