2011年2月22日火曜日
にゃんにゃんにゃん。猫の日。
そういえばと思い、奈良の三輪神社で出会った猫を。
猫はスマートでしなやかなのがいいのだと思っていたが、年を重ねると太った猫も悪くないと思えるようになった。
男はあいかわらずスマートでしなやかなのが好きだが。
私はいつの頃からか前世は猫だということを疑わないようになり、私に場の空気をおかしなふうにしてしまう力が不必要にあるということに気付く以前、平気で周りの友人知人にその話をしていた。
みんな適当に「そうっぽいね」と言ったり、口角を少しあげ、憐れんだ目で私を見ていた。
でも、20歳くらいの時にそれを証明してくれる人が現れた。
彼にも私はそんな痛い話をしていて、同情か親切か、彼は知り合いの占い師に聞いてくれたらしい。
私はその場に居合わせていないので、何を基準に見てくれたのかはわからないが、とにもかくにも私の前世は猫だったと彼は伝えてくれた。
バストという名前の猫だったらしい。
フランスの貴族に飼われていた裕福な暮らしをしている猫だったらしい。
やっぱりな。
どれだけの信用性があるのかとかそんなこと関係あるかい。
私は信じてる。
というか、疑えないだけだが。
にゃんにゃんにゃん。
自由に生きたいな
猫みたいに
って昨日親友からメールが来た。
『生きるといふ事は、たいへんな事だ。
あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す』
と、太宰治は言っている。
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