2011年4月7日木曜日

『マザコン』を読んだ。





本日、角田光代の『マザコン』読破。
母と息子、母と娘、母と息子の嫁・・・


母娘関係というのは複雑です。
母は母の前に女なのだから。
娘は娘の前に女なのだから。
そのはずだけれど、「前」というより「母」という「娘」という「ふた」でそのことを隠しているのかもしれません。
母が女であることをはじめて実感した時に安心するか嫌悪するか、そこからその関係は変わってゆくようにも思います。


私は「母」というものになったことはないのだけれど、なることもどちらかというと怯えてしまうのだけれど、そう、こどもを持つということよりも「母」になることが恐ろしいのだと思う。
同級生がこどもを出産し、ゆるやかに母になってゆく様を見ているとなんだか早回しでホラー映画を見ているみたくあたしはついていけない映像に困惑と驚嘆に呆けてしまう。


私の母は「友達のような娘」にしたいと私を妹を育てた。
だからかどうかわからぬが、母が女であることをかなり早い段階で認識していたし、女の顔を見せてくれると安心した。
そうは言っても娘の私がその顔を見せるのは気恥かしいのだが・・・


ところで、恋人に「俺の母親はいい人だよ」とあっけらかんと不安になるあの感覚はなんだろう・・・
疑心暗鬼。
あなたにとってのいい人は私にとってはどうなのだろうと疑ってしまう。
彼は、母が女であることを知っているのだろうか。
それとも、彼女は母でしかないのであろうか。

2 件のコメント:

  1. ゴッホの時にも感じたことなんだけど、おれが普段考えることがないテーマについて、考えさせる機会を与えてくれている。
    そして、幼稚で独りよがりな考えしか持っていないので、実のあることを書けていないが、丁寧な返答をもらって、また、考える。
    コメントし始めたころは、ただ、奇跡的なことに浮かれているだけだったけど、回を重ねていくうちに、有意義なものに変質している気がする。
    もちろん、考えは違うし、誤解もあるので、ムカツイて暴言を吐くかもしれないけど、続けていって欲しい。

    閑話休題。
    おれにとって、母親はおんなではなく、文字通りの母親でしかなかった。あなたは、「友達のような娘」になったんですか?あたりまえだけど、「ような」は絶対に外れないよね?
    しかし、超プラス思考前向きなお母さんと、どんな話をしているのかは興味がある。
    おれは、母親と真剣に話をした記憶がないし、相談したこともない。大学が東京でひとり暮らしだったから、母親の有り難さが身に染みたけど、ただ、それだけって感じ。

    >あなたにとってのいい人は私にとってはどうなのだろうと疑ってしまう。
    親が子離れできて、子供の自立した人格を認めていれば、マザコンなんてあり得ないのだろうが、現実は分からないのだろうから、疑うのは当然。身も蓋もない言い方だけど。
    20歳を過ぎたら、家から追いだして、自活させれば、マザコンなんていなくなる。

    きっと、あなたの読んだ本は、こういうことではなく、親子関係の絆や子供への愛情のあり方などが論じられていそうだから、おれのコメは、まったくの的外れなんだろうが、まあ、いいでしょ?

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  2. >匿名さんへ


    いえいえ、こちらこそいつもコメントありがとうございます。


    そうですね。
    母親の育て方どおりに育ったのでしょう。
    「友達のような娘」にしかなれませんでしたww
    いろんな話しますよ。
    ウチのお母さん、それに加えてド天然なんで笑わせてもらってます。


    たしかに、一人暮らし、一度もしたことないって人は・・・なんかヤダwww不安。

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