2011年4月10日日曜日

桜の季節。






あたしの家から1番近くにある桜並木とまでは言えないが桜の木たち。
結構な高台にある我が家なのですが、この子たちもここ最近のあたたかさにつぼみをほこらばせました。
太陽はやはり偉大なのですね。


こどもの頃、妙に桜が怖かった記憶があります。
冬は細いはげた枝で頼りなく寂しげに見えた木。
もちろん、そんな木を眺める人などいません。
その木が春になるとすさまじい勢いでピンク色にそまり、冬には見向きもしなかった人々が「桜だ、桜だ、花見だ、花見だ」と浮つきだす。
他の花で花見などしないのに桜だけはどうしてこんなに特別扱いなのだろう。
なんだか歌も踊りも外見も中途半端なのに、うまく笑うからもてはやされるアイドルみたいだと思った。


夜になるとその桜が豹変するのがまた怖かった。
花見客のためにライトアップされた桜はどこか嘘臭くまがまがしく、下手な化粧をした下品な女に見えた。
新体操の帰り道に見た、暗い学校にあった桜の木は月明りに照らされ、ほの白い花びらをひらひら散らしていた。
それはなにかの本かアニメで見た白い着物を着た女の幽霊に見えた。



年を重ねると何がいいのか全くわからなかった寺院や神社のよさがわかるような感じで桜を愛でる人々の気持ちが少しわかるようになってきた。
しかし、アルコールが許される年齢をとうに越えたあたしだが、夜、ビニルシートを敷いて酒を飲む花見など今までの人生でしたことがない。
なぜそんなことをしたがるのか意味がわからない。
でも、そういう意味がわからないことを楽しむ人たちはたくさんいるし、あたしが楽しむことを意味がわからないと思う人もたくさんいるだろうからバカにはしない。



とにもかくにも桜というものに癒されたり、勇気づけられたりする人々は多いようだ。
そんな力をもつ桜に少し嫉妬しながら、桜よ、大いに咲けばよいと思うのだ。
生きていれば、春はまた巡ってくる。
今年もそうして、春が来た。

2 件のコメント:

  1. おれは、学生時代は、桜を楽しむというより、練習帰りに、公園で一升瓶もって、紙コップで飲みながら、みんなでわいわい騒ぐのが好きだったよ。
    熱く、テニスのこと語ってたし、先輩から一発芸やれと命令されて、やらせていただきますって言って、始めるんだぜ。なんせ、1年生は奴隷だったからね。卒業してからは、そんなことやらなくなったし、それにつれて桜見ながらの宴会はやってないね。
    おれも、桜に癒されるという感覚は理解できない。きれいだな、とは思うけどね。

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  2. >PC_OTAさんへ


    桜の季節ってまだ微妙に寒いんですよね。
    そんなときに無理して外で飲まなくてもってふうにも思ってしまう。
    桜を眺めながら飲めるバ―とかだったら行ってやってもいいけどww

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