2011年3月7日月曜日

『津軽』を読んだ。



あたしはもうずっと太宰狂いだ。
こんなにもユーモアたっぷりにあたしの腹の中にあるあれこれを、的確に文字にしてくれる作家はいない。
くすりとぐすりとなりながら、あたしは優しいなぁ優しいなぁと彼に酔う。



今日は『津軽』を読んだ。
太宰治の故郷である津軽への里帰りが基となった、太宰そのものが出ている作品だ。
彼の親しい人々との再会のなかで交わされる会話が、たまらない。
鮮明にその光景があたしには見える。というか思い出す。



お道化で場を和ませるつもりが、かえって迷惑をかけてしまう彼の言動などはあたしそのものだ。
笑わせていないと不安なのだ。
いや、笑わせることにも自信がないのだから、せめて笑われていないと。




『「故郷に贈る言葉」を求められて、その返答に曰く、汝を愛し、汝を憎む』

にはじまり、あたしは代弁してくれているかのような彼の言葉に、うんうんうなづく。
あたしは、故郷を愛しているが、居心地がいいかと言われると決してまったくそんなことはない。
ここで生まれ育ったことそのものを恨むこともある。


『私には、常識的な善事を行うに当って、甚だ照れる悪癖がある』
『いいところは後回しという、自制をひそかにたのしむ趣味が私にある』
『だから、気持ちの説明は、いやなのだ』

などなど・・・


いやはや、恥ずかしい・・・これはあたしだ。



太宰と出会うことあったらば、恋をしていたかなぁ。
もし、太宰があたしに興味を持ってくれるようなことがあったとしても、ともに堕ちることしかできなかっただろうなぁ。
侘びしいなぁ。
愛は貴きもののはずやのに、社会と契約して生きていくには愛は侘びしい。


太宰は、たけのような女を生涯追い求めていたのだろう。
太宰はマザコンだ。大概の男がそうなのだろうけど。

あたしはファザコンやからいかんなぁ。
彼をほんまに、あったかいあったかい、包んでやることはできんかったやろうなぁ。


ただただ、へらへらはははとたくさんふたりで笑えたやろうなぁ。
履き違えた革命を起こして、やはり心中いうことになったかなぁ。


あたしはこれからも太宰に甘えるやろなぁ。
太宰は優しくにやっと受けとめてくれるからなぁ、すんませんわ。



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