2011年3月31日木曜日
活字に溺れる。
今日はひさしぶりに活字活字活字に溺れられた1日まではいかず半日。
まだまだ物足りないのですけど。
あまり読まないタイプの文章を書く作家と、好きなタイプの文章を書く作家だがはじめて読む人の作品を読む。
前者は佐藤愛子『幸福の絵』。後者は西村賢太『小銭をかぞえる』。
『幸福の絵』。
あたしは滅多に電車に乗らないのだけれどたまに乗ると前に座っている人たちがどんな日々を生き、これからどこに行くのか、複数形でいるのならばどんな関係性なのかを想像するのがクセになっている。
年齢や服装、表情などから安易に想像できてしまうものをとりあえず否定してみる。
父、母、息子に見えているがどうにもあの男の遺伝子は息子に受け継がれていない気がする。
とすれば・・・
海外旅行へと空港に向かうカップル。
しかし、彼のどこか浮かない表情とそれをなだめ励ますような彼女の言動。
なんらかの理由でいっしょにいることを許してもらえぬふたりのこれから始まる見知らぬ土地での生活に彼らは不安を抱えているのではないのだろうか。
正解などわからない。
見ず知らずの他人のあたしに聞けるわけがない。
でも、そんなことを繰り返しやってるうちに見た目で理解したようになっているのは本当に失礼なことだと思った。
そんなこと、解釈すらもできていないのだ。
だからあたしは、安易に人に「幸せそうだね」なんて厚顔無恥なことは言えやしない。
「幸せそう」なだけだから、たいてい。
フリをしていないと崩れてしまうのだ。
悲しい人ほどよく笑う。
西村さん、なぜ『苦役列車』から読まないってそりゃひねくれてるから。
でも、もっと早く彼の作品を読めばよかったと思いました。
芥川賞であなたを初めて知ってすいませんって思いました。
もうほんと、クズですね。
彼女にはなりたくないけれど、もしあたしが風俗嬢ならばお相手したいです。
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西村賢太、知りません。
返信削除今現在のあなたは、そもそも、彼女という存在自体になりたいという想いはありますか?
>PC_OTAさんへ
返信削除西村賢太氏は今年『苦役列車』で芥川賞を受賞された方です。
まだ2008年に芥川賞候補となった『小銭をかぞえる』しか読んでいませんが、私は他の作品も読みたいと思える文章を書く方でした。
彼女という存在かぁ・・・
そもそもあんまりなりたいと思ったことはないかもしれません。
いつだって恋はしていたいですが。