2011年3月6日日曜日

『at home』を読んだ。



私はたぶんものすごくまともな、ものすごく幸福な、そういう、少なくともそう見える、家庭で育った。
おいたちアルバムにはそんな写真ばかりだ。
だから、私はそんな人間に育たなくてはならなかったのだ。



なのに、私はこんなふうになってしまった。
ただただ、申し訳ない。
同じ人に同じふうに育てられたはずの妹はそんなふうに育ったのだから、これは親の影響や子育て方法云々の問題ではないのだ。
ただただ、申し訳ない。





本多孝好氏の『at home』を読んだ。
母がパーマのあたりが悪いと美容院にやりなおしに行っている間に一気に読んだ。


いわゆる“まともじゃない”家族のお話の短編集。

ひとつ屋根の下に住んでいるから家族。
血がつながっているから家族。

そんな単純なものじゃない。
それでも家族になれないことだってあるのだ。




家族は作るもの。
だからこそ、脆い。
だからこそ、強い。
近すぎても離れすぎても壊れてしまう。




家族だから甘えていいということはないのだ。
家族だからわかってもらえるということではないのだ。



信じることが行き過ぎ、期待になり、怠慢になり、間に合わないこともあるのだ。
ありふれた平凡は本当はとても壊れやすくて失わないでいることは奇跡だ。


ゆえに、家族を守るということになりふり構わず必死になるのだろう。
それがたとえ、狂っているように見えても。
それがたとえ、世のルールを犯していたとしても。
なんとしてでも壊したくないのだ。
どういう形を望んでいるかはそれぞれだが。




作ることよりも守ることのほうがずっとずっと難しい。
私には、傷つけられることあらば、相手に本気で牙を剥くであろう家族がいる。

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